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日本列島の終末観のやつ(替歌) 解題


*視聴前提の文章のため ご視聴後ご参照下さい*

「あと一つ、最後の言い伝え――それで私の年代記は終わり」

                            (プーシキン 『ボリス・ゴドゥノフ』1851)

https://www.nicovideo.jp/watch/sm36332490



近年洞穴の発掘調査で初出した一連の写本。明確な終末観を持った一都民がそれを眼前にあるかのように描き出した黙示録。3035年天空の城お菓子食べ放題学会での発表原稿の一部を動画用に編集しました。



キーは+3です。基礎はustを用いました(動画最後クレジット)。
絶対音感が薄いので(薄弱な絶対感とは?)大変大変有難いです。


ニコニコに投稿しました。別に彼方がたの為ではなく、自分が見返す為です。

これを書き上げた「僕」の共感を得る文章が、二葉亭四迷の『平凡』という自らの作品への書評の中に見当たったので、それを自分の言葉代わりに引用します。

「處がどうも僕等には、…どうしてもタサイヤになって了ふ。本来堂々と正面から理窟をやるつもりだったのが、いざ書いて見るとどうも冷嘲(ひやか)す様な調子になる。…」

いや、最初から堂々と真面目で通すつもりはなかったので、私とは全く違いました。忘れてください。タサイヤとは諷刺、のことです。

動画最初の戯言は本当に見ないで下さい。夜勤明けのIQ100の頭で一発書きしたので…それでも読まれた方からは私はプリンを頂きます。もぐもぐ


そろそろ本題に入りまして、歌詞…もとい出土本文の解説をします。


「はじめに」にあたる前奏部分ですが、詩文の価値は皆無に近い文になりました。徹夜の頭です。IQ150を1000とした時のIQ100の頭です。しかしそのお蔭で素直で飾り気のない注釈になり、中学生の方にも解る文章になったか。簡潔性という観点からは逆に良いのではと思います。

 私は信仰の自由を決して否定しません。その旨、おおらかな学会の雰囲気に沿う内容であり、休肝日大学の某有名長老教授にお褒めの御言葉を頂きました。

 まず出だしのカラハン朝関東サムゲタンですが、しょっぱなから日本列島じゃないのかよ、という大槻さん(私の同期。輪投猪口研究所所長)の声が幻聴としてやってきそうです。しかしこれも新たな方角からのアプローチであります。我々の研究はまた刷新を求められる時期に差し掛かっていると考えるからです。作者がちょうど第九世代です。



「防災費出し惜しみした要塞→喋る椅子と算段した巨大ダンボールめいろ」
…この解釈は字義通り、「腐敗しかけた上層部の緩い判断により防災費も削られ、そこにまさしく国難が訪れ、内憂外患の体となった。その要塞がダンボールで出来た入り組んだ城」で良いと思います。

 みなさまはダンボール迷路をご存じでしょうか。御存知なくとも全く恥じる事はありません。帝国時代に滅びた文化ですので、教科書に載る日もそう遠くはないでしょう、と私は踏んでいます。

その後はダンボール絵合わせという民俗行事に変更されたようです。滅びゆく文化はどうしてか人の目に美しく映るようで、めいろの復活を儚げな瞳で待ち侘びる神職もいるとか居ないとか(私は民俗学専門ではありませんので、この周辺は他の大家に任せるとします)。


「イソジンと婦人どうにかしたい 弱者ほど早く逃げさせたい」…「タイタニック」などにも窺えますが、「終末」の訪れた際、女性や子供といった弱者が先に考慮されるといったことが起こったそうです(この黙示録によれば)。


蹶起場所としてはやはり第二の天狗党の乱として筑波に集まって欲しかったんですね。

講談社やん、でっかいゴザ(笑)は自分でもずるずると妙~にしっくりきて気に入っています。


 茨城(水戸?)はあんなに納豆のイメージが(しか)あるのに関わらず消費量が一位ではない、というお得意の自虐(very funですね)を現地の人から聞き取り調査した経験がありますが、その際は二位、とか言っていた気が致します。そして一時期、水戸駅の西だか北だか南口を出たあたりに「祝 一位奪還」といった垂れ幕を手すりのところに括り付けまして大々的に喜びを顕わにしておられたようですね(私も出張先で確認)。微笑ましい事限りないです。その際二位は何処でしたか、失念致しました。後学のご指摘を俟ちます。

 今回の研究者が挙げていた史料(動画内に引用したもの)からすると水戸は納豆への投資金額的に三位という事でありました。私も配布資料を受け取った際、食い入るように見つめてしまいました。

 そして、茨城の方がよくネタにする魅力度最下位というネタは、思ったよりも県外の方には共有認識されていないようで、これさえも切り札として使えないとすると、例えれば自分の手持ちポケモンカードから唯一の伝説ポケモンを抜かれたようなものでしょうか。そうなのです、彼らにとっては誇るべき神話だったのです。些か逆説的ではありますが、誇りとはある一定の地域や空間における共通遺産であり、それが遜(へりくだ)りであろうともそれを我々の共同体こそが保持する「特性」だとの思いに繋ぐことで、りっぱな矜持、郷土愛へと昇華されるのであります。 不覚にも話が長くなりました、関東圏の皆さま御海赦下さい。

 ここから本筋(曲で言えばサビ)に入ります。

「国難だ 関西に神輿 張って」国難到来に際して宗教に頼るのはどの時代でも同じということですね。否国難こそ宗教の本領発揮の場と言えるでしょうか。しかし神輿を張るという表現は初めて耳にしました。レトリック的問題でしょうか。

 正直、「遣唐船シュレッダーして」が一番最初に頭に降って来て(いわば主導動機というもの)、あまり響きがよかったのであとからその残りは浮かぶままに継ぎ接ぎして付け足した、と、この研究者は述べています。ちょっと何のことだかよくわかりませんね。まあ簡潔に研究の動機ということでしょうか。


「掛け回しつゆの カニ丼」 これもなかなか小刻みにリズムを刻んでいると思います。汁でつゆと読みます。

 名も出ぬ若者が新商品の開発に関わっているということもよくありますよね。社会人の皆様に敬服を。という意味での一般名詞としてここでは「児玉氏」が挙げられたに過ぎません。

 

 海内という閉鎖的空間では外圧と比例する形で祭りが盛んになるということです。湘南、海辺を歩いた時の潮の香。髪がえもいわれぬ微妙な汐(しお)りけ、というのでしょうか湿り気を含む感じは体験したものにしか形容できないものかとも思われなくもない。靴も当然湿り気を帯びる。…こうした一人称の表現がこの黙示録に現実味を与えている一要素であろうかとも分析されていますね。


    カラシニコフの漆塗りってすごいつよそうですね。


殺気香る工藤の金言……特に意図はしていませんでしたが、読解の一候補に「殺気香る工藤の周辺」が挙がり、それだと本当に「工藤(何のとは申しませんが)」だなーとなり、面白い解釈だとも思いました。

 

 最近見ませんね英会話教室のウサギのCM。思い出せるような出せないようなメロディの。只今、想起しようとしたら別のコアラのCMが出てきました。雰囲気似ていますね、そういえば。車か何かのCMだったような…あまりに臆測となり無益なので次に進みます。

 以上、記載事項は動画内注釈の如く世田谷第四洞穴出土、狂騒記より。当然抜粋という事になります。他の研究者が分かり易いように専門記法を用いましたが単純明快なもので、世田谷(Setagaya)のS,それが第四洞穴であるので4,「狂騒記」は冒頭が「Waaaaaaa!!(終末の叫び)」で始まるためWa,そして便宜的に写本を発見した順序でaからアルファベットを振ってゆくのですがこれは単なる発見順を付して他と区別するための符号に過ぎませんから、aがよいとかcは劣るとかという優劣はありません。見つけた順にa,b,c…と振り分けていくだけです。以下同様です。つまりこの場合は第一~第三写本という事です。

いつ使うか分からない知識ですね。一般の方は把握なさらずとも問題はありません。


ここから第二部に入ります。



 電子式ってかわいいんですよね。高校で 誰もが テンションあがるかもしれないかな(一句)。と研究者は仰っていましたが電子式ってかわいいんですか?シグマのがかわいくないですか。

 キマイラータイムは語呂が良いので入れただけです。特に意味はありません。と筆者はその自伝「滅亡研究三十九年」(1980)の中で言っていました。


 昔を思い出しました。

 私も大きくなったら乃木神社になりたい、と言ったら友人の青木が「ばーか!」と唐突に言ってきたのですが、ばかやろう、そんなら俺は東郷公園だ、と続けられ、あまりの友情に感極まって二人して涙を拭きつつ肩を抱き合い笑いあった青年の日の思ひ出があります。

青木、俺はお前もあの日想像しなかった新世代の学会報告を拵えたぞ。どうか微笑してくれ。


 私情を挟みました。早速続けます。


「ウチガヤに同期が出ていました だけどガヤばっかり飛ばしていたんだ」…適宜挟まれる筆者の近況報告です。そういえばそういうタイトルですのでガヤを飛ばすものなのですかね。まぁ頑張って下さい。いわばエンタメ、と我々学界の人間は対極に位置するものと思われがちですが、案外私もテレビはたまに観ますし、彼らの方も知らぬうちに我々の研究成果に与ったり、特番で科学番組を担当して直接此方の世界と交わったりなどするので、この世界に生きているうえは全く関係のない領域などないのだな、としみじみ感じます。別世界のものだと決めつけることなく、様々な職業に親しみをもって見守りつつ、互いに支え合えたらよいものです。

「さいたま市に車を捨てて 銀行手形 エルモ サイン」…これは字義通りです。経済学の手法も有効となるためそちらの専門家もお呼びしたようです。国難が経済の方からも押し寄せるという事で国民の不安も増大し、恰も私が学生時代の取り付け騒ぎのようになった、という描写だそうです。台湾銀行の、…1926、7年の感じでしょうか、と研究者に申しますと、もう少しすごいと思う、との返答でした。なにせエルモさんのサインですからね笑。


以上、ミシュラン第四洞穴「丸餅最終戦争叙事詩」より、とのことですが、この洞穴名は響きがいいからという事で500年前の研究者が勝手につけた名前が慣例となって今も引き継がれているようです。昔はルーズですね。例の記号はミシュランMの第四洞穴で4M,そして「角餅もいいよ」のKa,これが第一から第六写本迄あるのでa-fと付いているのですね。


ここからはいわば曲で言う所のサビ其の二です。

にしては「若林 越県」という比較的パンチの弱い文章から入ります。これも味ですか。

この終末観では東京が第三次帝国の観をなし、幕の内に恵方巻のような軍事用施設が建設されるとのことです。


おしんのハンターはふと勝手に頭で曲を流していたらフレーズが降って来て、忘れぬうちに書き留めた、と研究者は言っていました。確かに考えようと思って出てくるものではありません。



儚げな筆致で捲し立てる、曲で言うとCメロの部分です。


呉と舞鶴との肉じゃが起源論争は、国家の非常時、つまり終末にあたって双方どちらともなく和解をし切磋琢磨して独自の肉じゃがを、そしてより良いものを生み出していこうという感動的な結論に至った。

…との記述です。別に私のいる現在においても戦争はしておりませんけれどもね。

舞鶴のものも、呉の肉じゃがも、ぜひ食べてみたいものです。よいカフェの目星は付けております、交通費さえ研究所から出れば。


「笑ってきた町田に居場所はない」…終末に臨んで特に危険の様相を呈する都内における作者(この黙示録を書いたと思われる人物)が逃避しようかと図り各地を物色するも、散々笑ってきた町田に自分の居場所はない、と冷静に分析、自らを客観視する場面です。ここは少し終末記をかじった方の間でも有名な部分です。

クロソイド曲線はハンドルを急に切らなくともゆっくり操作で曲がれるので、道路の具合に最適です。微分がこんなところに使われていました。

「素敵な町田市 云うことない」…そして、選択肢を少しでも残そうと足掻く都民は、今さらながら町田市に本心を打ち明けるのです。それが窮鼠の世辞に聴こえようとも顧慮する暇さえなかったからです。いかに終末が現実として切迫してきているか、この一文だけでもよく読み取ることが出来ます。


「山形指定 ポイント捨て 環境破壊」…キャッスレスが異常に進展した未来東京の弊害を見事に予言しています。

「カラハン朝は、そうだ、また興ったんだ。」…ここに来ての伏線回収ですね。


ネオジム磁石を巡って掘削戦争を始める様子が絶望的な終末描写に拍車を掛けます。スマホ時代を嘲嗤う見事な一片と言えましょう。新たな戦国時代を何度も半世紀ごとに繰り返すのだそうです。


君の埋葬法 やっぱ 屈葬かい?……伸葬かと思いきや屈葬を望む「君」。意味深長な記述でもあり、研究者の間でも悉く意見が分かれています。これであと十年は研究者が食ってゆけるだろうとも云われる興味深い論題です。


以上、大磯第二洞穴の「滅びの書」、第三第四写本からでした。大磯(Oh)の第二(2)洞穴、EndのEnです。3、4写本ですからcからdで、肩にc-dと付いていますね。附記として、これは古代商人がよく使って居たとされる湘南語で書かれていることを示す為、後ろに"sh"があります。


ここからが「結論」、曲でいうところのラスサビです。


国家の中枢機関が軽く麻痺し、三田は民衆に包囲されるという描写です。70年を思い出します。

国会ブース公会堂はおおむね語呂の他に動機を読み取れないためご自由に解釈なさって下さい。


   小田原付近だけ なんと ほんと まじで…変だけども


浮世絵って富士多いね、という当たり前のような、当たり前ともいえぬような明確なrealizeをしたところで新たな主題が浮かびます。そう、問題提起です。


東北は私が好きなのでどこかにいれようと思って入れました。と研究者が言っています。


葛飾に共同出兵 府民が手を握るのさ……最後良い所を見せるのはやはり府民でした。都は遅れてやってきます。


これで国民も安泰……という安堵でこの黙示録は終わります。結末が分かり易い綺麗な終末ですね。珍しく救済の思想で幕を閉じます。


以上最後は「祝福の詩篇」から。これも有名な一節です。岩倉の発音は一時期iEaekraとのことがこれで分かりますね。つまり岩倉E、第三洞穴で3E,祝福の詩篇の英訳「Yeah」の頭文字のY、そしてここは重要ですから特に具体的に6章の18節という事を明記しました。特に意味はありません。





編集をしていて思ったのは、本家のオケ音源がとても綺麗なので連続で聴いても苦にならず、とても助かった、という事です。
初めてですので兎も角形にする事優先で、こだわりはほぼ捨てた結果本当に形に出来ました。妥協を心掛けましたが、
初めていじったUTAUでは結局個別の音ごとにエンベロープや音量を調整しました。この微調整の作業が微妙に楽しかったのですが、効率はよくありません。

Aviutlで本当に動画が作れるという事が今回初めて分かりました。

絵は適当に間に合わせでなんとなく描いたものをこのために貼りました。


最後に、研究にあたって有力な先行研究、(ust、各無料ソフト、utau,audacity,ファイアアルパカ,TDenc等)に謝辞を申し上げてこれを上梓します。初めての刊行物ということで至らぬ点もあるかと思いますがご指導頂いたアシカかわいいゼミの教授、そして有益な助言を齎してくれたラメラ系、家に帰ると温かいご飯を持って待っていてくれた妻のモジュラー方程式にも、これで少しは恩返しが出来たのではないかと思う。


長々とお読み頂いた貴殿にも既約方程式の御加護があらんことを。

最後に、こんな研究をしていますがお気軽に石知っぴ大学からの共同研究の御相談や御構想、ご指摘、御感想など頂ければ研究の励みになります。

というかこれが最後だと思います。最後だといいのですが…!

ご視聴有難うございました。私はこんな僻地を訪れたご親切で物好きな方々、あなた方のことをずっと忘れないでしょう(動画の最後のラテン文)。

言訳は動画の本当に最後の最後の部分に尽してあります。読んだとき首がもげそうなくらい賛同し、はっと胸を打たれた一文です。

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